80バーさんのつぶやきV

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  2003.7.28

オホーツクの塩  

 昨夜、「オホーツクの自然塩」というおみやげを頂いた。

白とブルーの小さな箱は「雪の結晶」と「流氷の妖精・クリオネ」がデザインされ、中には、真っ白なプラスチックの小瓶に、美しいサラサラの塩が入っている。
「昔の人は、歯を磨くのに塩を使いました。塩の持つ殺菌効果や、引き締め効果がよかったのでしょうか?本品は、ミネラル、カルシュウムを沢山含んだオホーツク海水100%の自然塩です。」と書かれている。

 「昔の人」である私は、子供の頃、朝起きると台所の塩壷から、二本の指で少々の塩をつまみ出し、 左の手のひらにのせ、右の人差し指をチョッと湿らせて塩をつけ、歯をみがいたものだ。程よいショッパサと、ザラザラした塩の感触が冷たい水で口をゆすぐとスッキリと気持ちよく身体中を目覚めさせてくれた。「まあ、何と嬉しい贈り物でしょう!」

私は、今でも、全部自分の歯で義歯は一本も無い。たくあんも、おせんべいも大好きだ。塩で歯磨きをしたからでもないでしょうけれど?

 オホーツクの塩を頂いた時、私は、テレビで「南極大陸・知られざる氷床に挑む」を見ていた。南極の過酷な条件下で、調査を続けるイギリスの科学者達の「今」の生活だった。雪を集めてお湯を作り、その熱湯を噴射させて、厚さ2000メートルもの氷に穴をあけてゆく。10何時間も、雪を集め、お湯を沸かし 計器を設置する。6年後に引き上げて、水面の上昇を調べるのだと。その場所、西南極の氷床が完全に崩壊すると、世界の海面が、

5メートル 上昇するのだそうだ。

未来を見据えて、そのために己の智力、体力、時間を捧げている人たち。
神々しいほどの迫力を見せる氷床と、過酷な条件下で調査を続ける科学者達と。

すごい感動だった。

 わたしは80年を地球と人類の為になにをしただろう?

 

 

2003.7.25

  汽車ポッポ  7月24日

 最近、足の調子が少し変になった。

ほんの少し、遠出をすると、「行きはよいよい、帰りは怖い・・・・」になってしまう。
家から、5・6分で行けるスーパーの食料品売り場を一回りして、僅かの食べ物などを買い、肩掛けバッグに収めるとヨッコラショとかついで帰途につく。

ゆるい坂道をホンの少しのぼって来るのだが、その辺から足が真ともに上がらなくなってくる。自分では上げているつもりなのに、小さな勾配に突っかかってしまう。

♪♪「お山の中行く 汽車ポッポ、

    ポッポ、ポッポ 黒い煙を出し

     シュッシュ シュッシュ 白い湯気吐いて

    機関車と機関車が、前引き 後押し

    「何だ坂、こんな坂 何だ坂、こんな坂

      の・ぼ・り・ゆ・く 」 ♪♪

息子が幼稚園の時に、いっしょに覚えた童謡を、口ずさみながらのぼってくる。

自分の足が、他人様の物のように重くてあがらない。
「サーッ、元気出して!」と自分に号令をかけて、家の玄関までがんばるしかない。
ほんの、小一時間ほどのお出かけが、こんな情ない図になるなんて思っても見なかった。

  「転んだら、終わりだよ!」とみんなに言われるから、慎重にならざるをえない。

そう言えば、手先の力も弱ったかな?瓶のふたのネジ、プルトップの金具も「ヤーイ!」と憎まれ口を叩いているように意地悪をする。自然の成り行きだと思えばよいんだけれど。

 未だ、今年の梅雨は明けないのに、夕方の林で蜩蝉(ひぐらしぜみ)が、「カナカナカナ」と鳴いている。

 

 
   お山の中行く・・・

2003.7.16

 花もだんごも  (4)   

    オクラの受難

  そろそろ、梅雨明けが近いかと思っていたのにこの所又梅雨前線が仕切り直しをしたのか?6月のような図形に戻り、日本列島の南岸に停滞している。
13日の夜には、今までに無い強い雨がベランダの手すりを鳴らして降り続いた。
4日に播いたオクラの種が、9日には双葉が芽を出した。30粒から発芽したのは10数本で約4割か?2本、寄り添うように出てきたものもあり、これは分けてやった方が良いかしら?と考えていた所だった。

14日の早朝、少し小降りになった雨の中、畑に行ってみるとヤッパリでした。・・・・

激しい雨に叩かれ、幼い根が折れ、流されたようだ。数えてみると6・7本位あるかしら?
指先で土を寄せ、「がんばってよ!」と声をかけるだけ。どうしてやり様もない。息子は、「3本もあれば充分だ」と言うけれど播いた種の1割しか育たないの?野菜を作ると言う事も大変なんだと思い知る。

このごろは、平日に畑に出てくる人が少なくなった。一応、苗の植付けを終わって、後は収穫を待つばかりなのだろうか?草の生え放題の区画もあるし、胡瓜、茄子、トマトも食べごろに熟れているのに?

  穂高豆がくれた御縁

 今日は、甚べいさんを着たおとうさんが、少し離れた区画で草取りをしていた。脊の高い棚につるが巻き付いて元気良く伸びている。つい声を懸けてしまう。
「こんにちわ、これ、何豆ですか?」「モロッコいんげんです。」支柱に種の袋が付いている。「ああ、あの平たいいんげんですね、私の田舎では穂高豆といいます。おいしいですよね」「奥さん、信州ですか?私は長野に疎開いましてね」 懐かしそうな声が返ってきた。昭和19・20年頃の事だ。

私は、もうその頃勤めていて、東京から疎開してきた子供たちが宿にしている浅間温泉の湯船の周りに腰掛けて、足だけをお湯に入れて暖をとっていた姿を知っている。
  周りの人達が、若い人もそんなに若くない人も、どんどん召集されて、戦地に行くのを只「ご無事で!」と祈るだけ。
松の根っこを掘ったり(松根油が飛行機の燃料になると)、校庭を耕してサツマイモを植えたり、出征家族の家に農作業を手伝いに行ったり、ボロボロになった軍服の修理とミシンを踏み続けたり、「勤労奉仕」と言う日々だった。

 あの頃に、信州へ疎開していた子が、今、こんな所で「畑を作る」ことを御縁にして、言葉を交わしている。 こんなことがあるなんて?

今は、大学生と、高校生の子供さんがおられると。「〇階にいます。遊びに来てください。」と言ってくださった。

「先日、同僚達と、浅間温泉へいってきました。良い温泉でした。」 とも話された。

 すごい速さで過ぎてきた50数年の年月の「重い扉」を、こんな小さな畑の作物がサッと開けてくれて、緑色の小さな生命が、こんな出会いを作ってくれた。

  屋上の畑で出会う人たちは、みんな良い人ばかりだ。    

 

 

 

2003.7.5

花もだんごも (3) オクラの種まき

 今年の梅雨も中間点を過ぎた。降りみ、降らずみの梅雨の日々も初めの頃に二つ、三つの台風が来たが、私の畑にはかすめた程度で大した心配もなく、適当なお湿りと中休みの晴天と交互に訪れて、先ず先ずだった。

 6月4日から始めた苗の植付けや、種まきから丁度1ヶ月で、二十日大根は双葉からの疎抜き、筆の先のような赤大根のベビーちゃん、そしてマンマルのラディッシュ坊やまで、毎日3ッ4ッ収穫できて、サラダの彩りになった。紫紺の、棘の鋭い艶やかな茄子も、お味噌汁に浮かべられた。
細葱の先は、刻んで冷凍し、毎朝の納豆に混ぜていただいた。

屋上への重い扉を、全身の力で押し開けて出ると、「私の畑」の表札替わりに一隅に植えた金魚草の深紅の花があざやかに眼に飛び込んでくる。
 100円ショップで買ってきた竹と、緑色の針金と白いビニール紐で「芸術的?」に組立てた支柱棚に、一日、一日たくましく巻き付いて伸びてきたのは、胡瓜、ササゲ、ゴーヤたち。黄色の花もイッパイ咲いて、小指位の実もあちこちに見える。

 今日は、オクラの種を、30粒植え付けた。

苗はもう無かったので、息子が種を買って水に漬けておいてくれた。種の袋には、6月までに播くようにと書いてあったが大丈夫だろう。
柔らかくした土に、割り箸で穴を開け、一晩水をふくんで黒々した種を2・3粒づつ播いて、「しっかり、育ってね!」とつぶやきながら土を被せた。

さあー、幾日で芽を出してくれるだろうか?

お隣の畑では、毎朝毎夕、黄色い紙袋を持ったおじいさんが、胡瓜と茄子を収穫して「食べきれないほどです」とニコニコしておられたのに、今日は、お嫁さんらしい人がバサバサと枝を切っている。「茂りすぎて、病気がついたようだから少し透かしてくれと父にいわれたので・・・・」と。イッパイ花がついた枝が、コンクリートの上につみあげられている。

もったいないなーと思ってしまった。

わたしも、持って行った野菜用消毒薬をスプレーで胡瓜や茄子の葉の裏に懸けてやった。粒状の化成肥料を根元に一掴みずつ播いた。今夜の雨で沁みてくれるだろう。

 金魚草の花を一枝切って、それと今日の収穫のラディシュを三つ、葱を数本持って部屋へ帰りましょう。 夕方から、雨模様らしい。

 

2003.6.20

 「花もだんごも」(2)収穫第1号     6・19

 6月上旬に梅雨入りして、毎日はっきりしない天気が続く。

今日6月19日、台風6号が九州の西側を通り、日本海へ進み、梅雨前線を活発化させながら西日本に風、雨が荒れまくっている。相当被害も出ているようだ。

私の小さな畑は、どうかしら?昨夜も雨が降っていたが朝にはあがった。薄日がでてきたので、10時過ぎ、屋上へいってみた。

先日、雑草抜きに奮闘していた若い奥さんが、ニコニコ顔で「お宅のトマトが、赤くなりましたね」と声をかけて下さる。「エッ、ホント?」15センチ位の丈のミニトマトの一株 が元気に葉を茂らせて、その葉陰にほんのり紅く色づいた粒が見える。「収穫・第1号」はミニトマト4個でした。

「一つ、食べましょうか?」「まあ、うれしい!」と、二人で一つずつ摘まんで、チョッと拭いて、口に入れた。  お日様にかぶりついたみたいな気持、新鮮な歯ざわり、匂い。

後二つは、「お初」の写真を撮りましょう。

艶々した水茄子も、チョつと小さいけど1個パチンと鋏を鳴らして収穫した。8日に発芽した二十日大根も、6.7センチに伸びてきたので少し疎抜きをした。お味噌汁に放そう。緑がきれいで美味しいよ。

細葱の頭を一つかみ摘んだ。明日の朝の納豆に入れよう。
たった半月なのに、こんなに収穫がある。自然の力は偉大だなあ!

このところ降り続いた雨が、丁度よいお湿りになって、あんなに苦労して抜いた雑草の子供や孫達がポツポツ頭を上げてきた。手袋を取って、素手でツマンで抜いた。スギナの根っこの長い事!、強い事!  雑草と言われる植物の生命力に「ヤッパ、脱帽」する。

何か、苗を植えておられた奥様が、「おひるにしませんか?」と声をかけて、帰って行かれた。私は、もう少し草取りをしよう。明日になれば、もっと草が出るから。

少し離れた区画で仕事をしておられた方が、オオバ(青紫蘇)を一株持って来て「これ、余ったけど貰ってくださる?」 と置きながら、私の袋の中の茄子を見て「これ、塩でもんで生で食べると美味しいですね」と教えてくださった。夕食がたのしみだ。

 台風は、何処まで行ったかな?南風がつよくなってきた。

 2003.6.10

「花も団子も!」  03・6

 マンションの駐車棟の屋上に設けられた、ハーベスト・ガーデンの1区画が、抽選で当たり、この6月から私の畑として使えるようになった。
一坪弱の区画で、土の深さは30センチ位らしいが、しっかりコンクリートで仕切られて土が流れ出る事は無いようだ。晴れれば、一日中陽が当たる。
  今までは、ベランダに並べた鉢植えの草花とおしゃべりしながら世話をするのが楽しみで、次々花が咲くと、前にいた家の庭に想いを馳せる日々だったけれど、之からは、野菜も作れる。胡瓜、なす、トマト・・・・・

30数区画も並んでいるから、「お宅のォ茄子、見事ですね」とか、「このお花は、何?」とか大勢の方たちと気楽な交流も、生まれるだろう?
  6月早々、先ず茫々の草を抜いて、整地をしようと身支度をして屋上へ行った。

このマンションが出来た時から作っている方でしょうか?バラや、ポピーなど見事に咲かせている区画、本格的に土を黒いビニールで覆って、立派な棚を組んで色々な野菜が育っている区画もあって、「ヨーシ!私も」 とワクワクしてくる。
   先ず、草むしりを始める。 園芸用の3本鍬で少しずつ掘り返し、草の根ごと、引き抜き、プラスチックの水切り篭に一掴みずつ入れて、土をふるい落とし草だけを日向に積み上げる。乾いたら、燃えるゴミの袋に詰め込んで今度のゴミの日に出しましょう。

 久し振りに、日光を浴びて身体を動かす快感をあじわう。

若い頃、(戦時中)  勤労奉仕で農家の手伝いに行き、畑も、田圃も、養蚕もみようみまねで一応はこなしたものだったが、あれは役に立ったのだろうか?

あの頃の仕事は、何事もワイルドなもので、抜いた草の土を払って乾かして燃えるゴミの袋に入れて決められたゴミの日にゴミ置き場に出す、何てこともなく畑の隅に放って置いた。今は、色々決まりがあって、土も、ゴミもお金がかかる。

二時間ぐらいで、もうバテてきた。 今日は、この位でおしまいにしよう。腰を伸ばして、「この辺に胡瓜、茄子、トマト」「パセリや、葱も少し植えようか?」「ゴーヤは、大きくなるから棚が要るな?」などと思い巡らす。

 明日は、消石灰を播いて、土をひっくりかえして、苗や、肥料を買いに行こう。

可愛いい畑を作りましょう。これから毎日屋上に上がってくる楽しみが出来て、元気になりそうだ。

「ササゲの苗が余ったから植えませんか?」「この苺とても美味しくて、子供が喜んで食べました。ドンドン増えるから一株あげましょう」「お花も少しあっていいでしょ?」とすずらんを下さった方。皆さん本当にやさしい。

今年は、よい日が続きそうだ。

 部屋に帰って冷たい麦茶を飲みながら見下ろす雑木林の中に、栗の花が白いリボンのようにキラキラ光って笑顔満開です。

 

 2003.4.4

  カタクリの花を見に行きました

 4月4日  晴れ

少し寒いけれど、明日は雨・風が強いと言う予報なので、「今日しか無いな」と出かけることにした。 先日、新聞で「春、かれん!カタクリ見頃」という記事を見て切り抜いて置いた。
JRで2駅で行ける、八王子市の片倉城址公園に、カタクリが群生しているという。

年寄は、朝早く目が覚めるので、人出の多くならぬうちに一人で出かけた。
八王子で横浜線に乗り換えて次の片倉で降りる。
駅の売店や、通りかかったお兄さんに「カタクリの咲いている公園は?」「城址公園に行く道は?」と聞く。「あの山がそうです」「そこの十字路を渡って・・・・」と親切に教えて戴き、スゴイ方向オンチの私は、用心しながらゆっくり歩いた。

道端に、紫木蓮の大きな木があり、燃え立つように満開の花が朝日に輝いている。早速一枚、写真を撮る。木の下に、タンポポが一株。5・6輪のその色、鮮やかな黄色に見とれた。そのお隣に、釣鐘型のスズラン水仙もお目覚めでかわいらしい。

  10分程歩いて、目指す公園らしき場所につく。入り口の標識などない。
片倉城は、室町時代に長井氏によって築城されたと言われているが、今は、空堀らしき沢や、土橋、本丸、二の丸跡の広場等から、昔の山城を思い描けるだけという。

池を巡る細い道、坂の道や石段、古びたお社などが、まだ、芽吹きの始まらない雑木林の木漏れ日の中に点在して、静かな佇まいの中を歩くと、時代劇のお姫様になったような気分になる。 登ったり、下ったり そろそろと行くと、黄色の山吹、白い錨草などが、あちらにも、こちらにも優しい笑顔を向けていてくれる。

 さて本日のプリマドンナ・カタクリは、杭と縄によって区切られた細い「遊歩道」を挟んで、右にも、左にも斜面いっぱいに群生している。
薄い茶色の斑(ふ)が入った緑の葉が、落ち葉の溜まった柔らかな土を覆うように萌え出ていて、赤味を帯びた茎が10数センチ、スックと立ち上がり、紫色の花をつけている。
日の当たる場所では、花弁が反転して、まるで小さな王冠の集まりに見える。薄紫の蕾も沢山見える。・・・・「もう一度、来よう。」「だれをさそって来ようかな?」

花の傍らにしゃがみこんでしばらく、みとれてしまった。
こうした花の群生が、坂を上がり下りするとあちこちで見られる。

二の丸跡の芝生の広場には、桜の大木も沢山あって、之から春本番に入る様子。
 お花見の日取りを相談しながら歩いているお母さんグループや、三脚を立てて写真を撮っているオジサマもいる。  皆、明るい楽しそうな顔です。
こんなに美しく、穏やかな時間を戴けて、ほんとにしあわせな日でした。

 花も、人も、どうぶつも憎み合わないで、いのちの不思議と大切さを見つめたいと思うのだけれど。 戦争は、はやくやめてほしいです。

 

 2003.3.31

椿の初花  

 きょうは、センバツ高校野球が、準々決勝の日だ。

早く、朝の仕事を済ませてドッカリと野球見物をしましょうと、ゴミ出し、洗濯を早々済ませてベランダに出ると「オーッ、ヤッター!」と声がでた。「椿の初花が咲いた」親の木の半分位の小さな花だけれどチャンと赤白の絞りの花だ.。

前に住んでいた家の庭に、チョッと珍しい椿の木があった。正式の名前は分からぬが、大輪の赤、白、絞りの花が沢山咲く、おとうさんご自慢の木だった。直径15センチ以上もある大きな花に、お客さんも皆 驚いてくれた。
花の咲いているうちに「この枝・赤」「この枝・絞り」と目印の紐を結びつけたり、、朝夕目を凝らして椿につく虫を探し、はやめに薬をかけたり、結構手もかかったが、大輪の咲き分けの花が大好きだった。

転居が決まった時、「この木は持っていけないよ」と植木屋さんに引導を渡されたけれど何とかしたかった。

地面に、実生の小さな木が2・3本出ていたので、イチかパチか?私は堀上げて持ってきた。実生から2・3年経っていたものか?ガーデニングのベテランにも、「実生は、7.8年経っても咲かないよ」 と言われていたが祈る心で連れてきた1メートルにもなっていない幼木だった。

今年は、ベランダに鉢植えを持ってきて3年目だ。

それが、この春、ひざしを恋うて曲がりながらも枝の先にチッチャナ蕾を見つけた。去年からの古葉の先は茶色に枯死していて、「ヤッパリだめかナー」とがっかりしていたのだが。 ひとつ、ふたつ・・・・数えてみたら何と22も蕾がみつかった。

ベランダは、南面しているので日当たりはよいが、高いので風が強い。ことに南風は、鉢をころがすほど強く吹き抜けて恐ろしい。

でも、死んでいないことは毎日鉢皿の水を吸い尽くす程の勢いからわかって、毎日「咲いてよね」と声をかけながら祈るような気持ちでみずやりをした。

「ありがとう。よく咲いてくれたね。おとうちゃんありがとう。」
うれしい朝でした。
次の蕾もはちきれそうに膨らんできている。

 引越しにも負けず、風にも負けず、・・・・けなげな、二代目椿の君に乾杯!

 2003.3.24

  今ありて   

 選抜高等学校野球がはじまった。

開会式に歌われる大会歌[今ありて」(作詞阿久 悠) が、好きだ。 

 

♪ 新しい季節のはじめに 新しい人が集いて

  頬そめる胸のたかぶり 声高な夢の語らい

   ああ 甲子園 草の芽 萌え立ち

    駆け巡る風は 青春の息吹か

     今ありて 未来も扉を開く

    今ありて 時代も連なり始める ♪

 

「今」に、全身全霊を注ぎこんでこそ、悔いは無く、やがて未来がついて来るという歌詞は、私自身80年生きてきて、実に説得力のある言葉だと感心している。

過ぎてきた一瞬一瞬は、結構苦しく、つらいときがあったけれど、積み重ね通り過ぎて今は80年も短くアッという間だったように思える。

辛い事や、悲しい事も時の流れの中で何時の間にか柔らかく風化されて、みんな私の人間形成のこやしになってくれたと思う。

ここまで来ると[今日は何をしなくては。」という事も無くなって、グータラばーさんになってしまいそうだ。それではどんどん回りの人に迷惑をかけるようになるし、気力も、体力も衰えるばかりだろう。それは、困ります。

ベランダの花たちも、冬の寒風にさらされながらがんばって、枯れたかしらと思うほど小さくなって冬を越し、春風とともに優しい陽射しに緑を濃くし、蕾をつけてくれている。

水仙も椿もばらも・・・・・    やがて、美しい個性のあるそれぞれの花を咲かせ、それぞれに良い香りを放つてくれるでしょう。

若い高校生達の、キビキビした、真剣にプレーする[今」を見ながら、私もまだまだ元気を出して、今の自分にできることを少しずつでも積み重ねよう。今をたいせつに。  

 

   ばらの芽や、 かすかに紅の いのちあり
 

  

2003.3.20

  大相撲と私

春場所の大相撲も、最早終盤戦に入った。

私は、明治の始め生まれの祖母が、「 昔、 武蔵山という強いお相撲さんがいてね・・・・」と言っていたのに影響をうけたのか、何の武器も持たずに裸で力くらべをする相撲が、何となく好きになったのは、幼稚園に行っていたころだったか?
私は、信州生まれで、オリンピックで一躍有名になった諏訪神社は、神話の建御雷命を祭神としていて、7年に一度行われる「御柱祭」は一大イベントで、生活すべてが、この祭りのためにうごいていた。「おすわ様」は、大国主命と天照大神の争いに敗れて諏訪の地に下られたという。祖父の家は、諏訪神社の氏子で、若いとき「御柱」の山だしに参加したと話していた。そんな血が、私に影響しているかもしれない。

わたしが、お相撲に接した頃は、テレビは勿論、ラヂオも無く、次の日の新聞に載る1・2枚の写真を見るだけだったけれど。
チビで細くてイジメラレッ子だった私は、大きなお相撲さんが、ドシンと当たりあう姿を想像するだけでも「大キイって良いなあ」とちょんまげの大きなおとこの姿を羨ましく、美しいと思った。
田舎のお祭りに回ってくるお芝居の、「一本刀土俵入り」でお相撲姿の役者をこの世で一番強い人だと思っていた。

 あれからずっと長い間、ラヂオに聞き入り、やがてテレビに食いついて楽しんできた。
テレビ放送も今年は50年過ぎたと言う。

野見宿祢と、當麻ケ速が時の天皇(雄略、469年)の御前で力くらべををしたのが相撲の始めといわれている。日本書記には、武力による争いを、「手を取り合う」という容(かたち)にたとえたものと書かれているとか。
ともあれ、私は、日本の国技として、「礼に始まり、礼に終わる心」を残しておいて欲しいと思っている。

でも、此の頃は、外国人のお相撲さんが増えて、大関、横綱になった人さえ出てきた。

「横審」は、お相撲の品性をチェックする機関という。「品性」の定義も刻々変化しているのだろう。何はともあれ、あまりエゲツナイ勝ち方は感心しない。マッ正直に当たって、渾身の力を出し切る人に、一人で見ていても思はず、拍手して声をあげる。

土俵に上がればただ一人、仕切りを重ねるうちに顔面も裸身も紅潮してくる。胸元が張り切ってくる。見ている私も、二の腕が固まってくる。「よおし!いけ!」一点に集中する緊張感がたまらない。 私が見ている間は、ヤッパリ、人を感動させる、うつくしい相撲で在って欲しいと思っている。    03.3.19
 

 

2003.3.8

 早春の香り・春の味    03・3・7

3月になったので、青梅の梅林へ連れて行ってもらった。

今年は寒かったからか?花はまだ二・三分咲きで少し物足りなかったが、春待つ人たちでにぎわっていた。
梅林に入ると、足の下の土の感触は柔らかく、ホッコリした黒土に小さな雑草が背伸びをして可愛い花を咲かせている。
[アッ、あった!」若草色のフキノトウが一つ、又一つ見つかった。これぞ!春の色、春の香り。指先を土の中につっこんで6.7ミリの白い茎をつまんで引きちぎった。鼻先に持ってくると青臭い春の香りが強く匂う。

女学校の入試合格の知らせを持って亡母のお墓に参った時の、柔らかい陽射しと体を包む幸福感を思い出す。信州の春は遅く、皆待ち焦がれる。
それだけ春を感じる思いが強いのかもしれない。あの時も、フキノトウを三つ四つ見つけて摘んで帰った。ホンの一舐めずつだったけれど家中で[春]を味わった。フキノトウを刻んで油で炒めて、味噌と砂糖を入れて練り上げる。艶々と黒いこの味噌は、ほんのり苦く、香りが強くいまだに私にとって特別な貴重品だ。[春]の「しあわせ」だ。

私の小学生の頃は皆お弁当を持って行った。おかずは、自家製の味噌、梅干、良くてショッパイ鮭の薄い切り身などが定番で、卵なんて、遠足か運動会の時ぐらい。アルミの弁当箱のふたに当番がやかんでお湯を注いで回リ、皆一斉に「いただきまーす」・・・・
「ふきみそ」がポツポツ弁当箱に入る頃、一緒に弁当を広げた先生が生徒のふきみそを「少し舐めさせろや 」なんて無心したりすると、次の日は、何人かが、[先生!今日はおれんとこのふきみそたべてみろや」と先生の机まで弁当箱を持って行って先生のご飯の上になすりつけたりした。
  皆「蕗味噌が大好きだった」

もうひとつ、春の楽しみはたんぼのあぜで野蒜(あの頃は、ヒーロッコと言っていた)  を掘ることだった。切れなくなった鎌や炬燵の中の十能などで、根の先の白い小坊主を切らないようにユックリユックリ掘った。短気に掘ると[アーッまた切れちゃった!」となる。
土の上に出ている青い葉は、茹でると糸のように細くなって食べるところが少ない。だんだん下に行くほどに茎が太く白くなって、まだその下に丸い白い玉がびっくりするほどの大きさで付いている。手がすべると半欠けになってしまう。
ていねいにゆっくり・・・・どろだらけの手足、顔、のまま川に入って、のびるもついでにきれいに洗い、茹でて酢味噌和えにする。これは、子供より父親が晩酌のあてに喜んで「たーんとほってきたなー」とほめてくれた。
私は、この味も大好きだった。今でも、春にはふきのとうや、のびるを一度は、たべたくなる。思い出を噛み締めながら、今の幸せを感謝しながら。
 

 

2003.3.1

じょうびたき   03.2.28

  此の頃は、「2晴・3雨」と言いたくなるように、2日晴れると3日冷たい雨が降る。つかの間の晴天の日、「じょうびたき」が、我が家の下の林で鳴いた。

「ツッピー・ツッピー」と盛んに呼んでいる。

前に住んでいた調布では、道路に立つコンクリートの電柱の上で、毎年鳴いていた。庭の木蓮の枝に来たこともあった。毎年、彼の来るのを楽しみにしていた。

じょうびたきは、シベリヤから渡ってくる冬鳥で毎年、同じ場所を縄張りにするという。此処へ、移り住んで、去年は声を聞かなかった様に思う。あら!なつかしや。ベランダへ出て、暫く聞いていた。ツツピー、ツツピーときこえる「[彼らの恋の季節?」

彼が、必死に呼びかけているのだけれど、応えている彼女の声は私には聞こえない。でも、彼らの声が木々の上や、電線の上などから聞こえてくると[アー、春だ]と思う。

同じじょうびたきでも、その鳴き声に個性があって、[ツッピン、ツッピン」 と弾んでる子もいるし、「ツーピー、ツーピー、ツー」と間のびした子もいる。おもしろい。これは、今年の大発見!

冬から春への、ほんのしばらく、時々来て鳴いてくれるが、何時の間にかいなくなる。
人間の、ゴタゴタした生活にかまけていると、すぐに季節は移り、もう、彼らはいない。

忘れた頃、「ツツピー」と鳴き声を聞くと[あらあら、もう一年が過ぎちゃった!」と歳月の止まっていないことを思い知らされる。歳をとってきた所為か?月日の歩みの早い事!何もしないで過ぎてしまった日々を、かなしく反省する。

さて、私もボツボツ 動き始めないといけないな。

      調布から 後追い来しか じょうびたき

 

  じょうびたき

2003.2.13

 早春の花は黄色が多い?

  毎年感じるのだけれど春早くに咲く花は、黄色が多いと思う。
新春の「福寿草、」「 水仙、」 東北で雪解けとともに咲き出す「まんさく」( 先ず咲くからきた名前とか)、2月になるか?の頃、薄い蝋細工のように光り優しい香りを放つ 「 蝋梅 」そして、3月ひなまつりには、「 菜の花、」 道端に「タンポポ、」「チューリップ」 と・・・・・・

春の花は、黄色ではじまるようだ。みんなうつくしい。

私の部屋の中には、鉢植えの「カランコエ」や、「プリムラ」とか近頃はやりのカタカナ名前の花達がズ〜ッと咲き続けているがこれらも今は黄色が多い。
 そして、わたしの大好きな「黄色のバラ」が咲く春本番が来る。

  日足伸び いのちも伸ぶる ごとくなり   草城句
 

 

 2003.1.29

霧の朝  

1月の終わりになって、二日も続けて雨降りで寒い。

春の雨にしては少々荒っぽい位に一日中やまないで降り続いた。
「夜中の3時頃には、この雨は、あがるでしょう。」とラヂオの声は、言っていた。
翌朝、いつものように朝日が昇る前の東の空が大好きなので、ベランダへ出る。

何と、ベランダの先が、真っ白に、もやっている。 

これは、霧です。

お日様は、ボーッと雲の中の月のように弱く光っていて、いつも見える多摩丘陵の山々も、山の肌に張付いている家々も、すぐ近くの白いビルも、乳白色の霧の中に沈んでしまい、下の林も裸木の先だけが黒っぽく透けて立つさまは、なんとも幻想的な風景だ。

はじめて見たような気がする。

 

 ♪♪ ただ一面に 立ちこめた  牧場の朝の霧の海

    ポプラ並木の うっすりと 黒い底から 勇ましく

    鐘が 鳴る鳴る カーンカーンと。♪♪{小学唱歌}

 

見たことのない風景を、想像し、憧れて、歌っていた子供の頃。
思わず、くちずさんでいる今のわたし。この至福のとき。

9時近くなって、部屋の温度が急に上がって、太陽もまぶしく光を増してきた。

きょうは、あたたかくなるようだ。

   

2003.1.7

   今年の初詣は、箱根でした。   03.1.7

 1月3日、箱根駅伝の復路の選手達が、通過した時間を見計らって出発。うす曇りで、時折小雪の舞う箱根路を、初詣の旅に連れて行ってもらった。

 ♪ 箱根の山は天下の嶮、函谷関もものならず、万丈の山、千尋の谷、

前に聳え、しりえに支う、雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす・・・・・♪

 口の中で、つい口ずさんでいる。

右に、左に、車はカーブをなめらかに曲がり進む。ずっと前に、バスに乗って、ひどい車酔いに苦しんだことが思い出された。
時々、空が暗くなって、雪が窓に当たるが「これも風情」の楽な旅がうれしい。
   初詣の人の波も、いまは車の列に変わり、結構な台数が続々と走るさまは、「箱根八里は馬でも越すが・・・」の時代とは大変な違いだ。私も、長生きしたものだ。大正・昭和・平成と80年だもの。

芦ノ湖は、強風に白波を立て、けぶっている。
駐車場も、参道の人並みもイッパイで、華やいでいる。
自分の足で石段を登り、杉並木の中の道を進んでいくうちに、 心の中はただ感謝。

神前に祈る言葉は、「今年も平穏に過ごさせてください」の一言。

おみくじも「中吉」これもしあわせ。過大な要求など何もない。今はただ、運命の神様のお心のままにと。

 宿では、こもかぶりのお神酒を桝で頂き 夕食のワインを楽しみ、白濁ノ温泉は柔らかく身体の芯まで温かくしてくれた。2003年もキッと良い年だろう。