健在! 生き残った分隊員
 
四捨五入すれば80歳

生徒館の同じ分隊で暮らした日から60年 生き残った分隊員がまた 集まった
 
二十分隊会 箱根旅行の記 牛山 通男 03.11.1 

B29とグラマンの空襲  艦砲射撃に耐えに耐え 同じ生徒館で 生き延びた18歳の
分隊員が 今年もまた 『全員集合』 した。

◎第50回分隊会 箱根で開催

戦争が終わって落ち着いた昭和37年に日本郵船から三菱石油にスカウトされ移籍していた
金子生徒が 東京商船大学教授になっておられた 清宮貞分隊長をお迎えして
三石赤坂社員クラブで 『20分隊の会』を 立ち上げてくれてから41年になる。    

あれから毎年 若くて元気なころは 春秋2度集まったから 『20分隊会』は
今度で50回目だ。

毎回出席されて いつも楽しそうに 杯を傾けておられた 清宮教官が
突然なくなられて15年経った 昭和60年に 全国から分隊員が集まって
房総半島 成田空港傍の 清宮分隊長の墓参ツァーをしてからは
『20分隊会』は毎年一泊規模で全国旅行をするようになっていった。 

今までに15名の分隊員がなくなったが、そのうちの 10名は生前この会に
出席している。

今年は平塚の渡部生徒と藤沢の広田生徒が世話をしてくれて
春から準備し 10月29日 箱根で開催、奥様5名を含む
23名が参加した。

素晴らしい高架駅に変貌した小田原駅から JTB差し回しのデラックス観光バスで
スタート。 畑宿寄せ木会館で 寄せ木細工の実演を見学、甘酒茶屋で
何年ぶりかの 甘酒をすする。 

                                小田原駅新幹線口に集合

                                   箱根関所跡探索

箱根関所の跡探索では パスポート無しで 脇道通過に失敗 役人勢に
追い詰められて 身投げした女性の 『お玉ケ池』が悲しかった。

◎箱根八里は息が続かない

泊まった箱根湯本ホテル自慢の 『味わう箱根』の日本料理は素晴らしかったが
舞台で全員が合唱した 『歌曲箱根八里』は 長い上に 曲のテンポが速くて
酔った肺には 息が苦しかった。

翌朝は豪華バイキングと美味いコーヒーで ゆっくりと出発 滅多に無い
絶好の無風晴天の大涌谷で黒卵を食べ ロープウエイで箱根全山の
紅葉を天空から見下ろしながら もう一度 二日続きの芦ノ湖に降り立ち
箱根神社に参拝、全員で談笑しながら ゆっくりと湖畔を散策した。

                                    大涌谷

                                 富士山とロープウエイ

◎お見事 男性料理教室の成果
昼食は各自自分で ワカサギと季節の野菜を天麩羅にして 揚げ立てを賞味したが、
『世田谷区男性料理教室』 卒業の金子生徒が 見事な箸さばきで
分隊員をサポートしてくれた。

旅の終わりに バスは定番『蒲鉾ビル』に横付け 土産を思いっきりずっしりと買わされた。

余計なことだが 高い蒲鉾は 確かに美味く 晩酌の日本酒に合う。


◎『20分隊会』はまだまだ続く・・・ 

気がついたらみんなもう75歳を越え 四捨五入すれば80歳ということで 腰も抜けるから
このへんで 分隊会も終わりにしたら・・・の意見もでたが

諏訪の財界大御所の山田生徒の・・・『終わり』なんて とんでもない・・・の一喝で
来年は 長野の善光寺でやることになった・・・ 03.11.1


                      芦ノ湖 湖畔でのみんなの笑顔

                   

写真提供 福井から参加の堂前清雄生徒

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