80バーさんのつぶやき
2001.12.25 クリスマスの思い出 2001.12.24. ラジオのクリスマス・ソングを聞きながら,子供の頃(昭和10年頃)のクリスマスを思い出している。あの頃,日本は皆貧しかったけれど、祖父の代からクリスチャンだった私の家では,クリスマスは,特別の日だった。 午前は,特別の祝礼拝があって、大人も子供も一緒に「聖しこの夜」等の賛美歌を歌い,にこやかな牧師さんのお話を聞き,世界中の物皆の幸せをお祈りした。 お昼になると,(今,考えるとおかしい話だけれど)五目御飯の皿盛を全員でいただき、その後は「祝会」と言ってお楽しみ会があった。子供達は,シーツを被った天使、ふろしきを着た三人の博士、長い杖を持った羊飼いたちに扮して、キリスト生誕の劇を神妙に演じる。馬小屋にマリアさまと籠の中に幼キリストが真中に座っていた。その他大勢は、合唱団で、次々と賛美歌を歌った。 それから、大人達が、いつもの顔をどこかへ置いてきたみたいな達者なお得意芸を披露する。ビックリするやら、可笑しいやら。今でもその時の手品のおじさんや、座敷箒を三味線に見立てて都都逸や、小唄を唄った人、二人羽織で、お蕎麦を食べた姿だのを思い出して楽しい。あの方達は皆もう天国へ行ってあちらでヤッパリ箱から鳩を出したりしているだろうか? 父がその頃、日曜学校の先生だったから、最後にサンタクロースに扮して、皆に白い袋からプレゼントを手渡してくれた。鉛筆二本とキリストのカードだったけど。 あの頃は、オーブンなど無かったので、蒸しパンのケーキを切って分けて貰った。くるみとか、柿などの果物が小さく切って入っていた。何が出て来るか?ワクワクした。 夜、枕元に靴下を置いて寝た。朝起きると、ささやかな、手作りの手袋とか、綿入れのチャンチャンコが置かれていた。母が、長いことかけて、用意してくれていたのを知っていても「サンタさん、ありがとう」と喜んだ。 いまは、何もかも豊かで、あの頃とは別の形のクリスマスになってしまった。 私の子供の頃のそれは、子供も大人も、「人の心を優しく、みんなを大切にしよう。」とする行事だったように思う。
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2001.12.24 木瓜の蕾 2001.12.24 我が家の木瓜は、黒木瓜(くろぼけ)という珍しい種類だそうだ。亡夫が大事にしていたので 此処へ越してくる時に、ちょっと上等な鉢に庭の土をそのまま移して抱いてきた。 花が咲くと、一番外側の花弁が、黒味を帯びた濃い赤色なので、黒木瓜というのかもしれない。 ベランダに置いて毎日眺めているのだが、今朝蕾を見つけた。ひとつは子供の小指の先ぐらいで、少し色づいている。あと、四、五輪数えられる。びっくりした。 水は欠かさぬように気をつけていたが、枝の剪定もせずに二年。自由気ままに枝を伸ばして、奔放に延び放題の姿になっている。去年の葉もまだ沢山ついているので、今切るのは可愛そうだ 。「よく、生きていてくれてありがとう。」 この二年、主人の喪に服していてくれたのかもしれない。今年は、南面するベランダで、早々と、花を咲かせてくれるのか。 前の家の庭では、雪を被っても植えっぱなしで、三月にならないと蕾も出なかったのに。何だか、可愛くて嬉しくて、重かったけれど部屋の中に取り込んだ。主人の写真の見える日向に置いた。 さて、初めの一輪は、いつ咲くかしら?
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我が家の木瓜。 |
2001.12.21 12月21日、初雪が降った。 予報で「今日は、雪になるかも?」と、聞いてはいたが「うそ?」位に思っていた。 それでも、明日は冬至だし、かぼちゃやゆづを買って置こうかと町へ出かけた。曇ってはいたがまだ雨は降りそうではない。クリスマスや年の暮れのセールが賑やかで、楽しみながら眺めて歩いて、12時近く、スーパーを出るとショボショボと小雨が振り出していた。「その内、白くなるぞ」と言いながら、おじさんがすれ違って行った。この土地に長く住んでいる人らしいから、「そうかもね!」と納得しながら道を急いだ。風が冷たい。 部屋に帰って、荷物を片付けて居る内にほんとに白い粉のような雪に変わってきた。ベランダに出てみると、葉が落ちて竹箒をたてたような林も、霞がかかったようになりその先の鉄塔も、山べりにはりついた住宅も、白い雪の流れの中に隠れてゆく。 この辺は、都心より気温が5度以上低いと言われている。粉のような雪が刻々大きな粒になり、ボタン雪のような降り方で、家の屋根もビルの窓も見ているうちに白く覆われていく。 ヤッパリ、いいなー、雪景色! 東京では、去年より17日早い初雪だという。 一時間ほど、窓にはりついて、音もなく舞い落ちてくる雪にみとれていた。 「北国は、今日も吹雪と たよりあり」 多摩の雪は、夕方には晴れてしまいました。 |
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2001.12.17 陽光の恵み 2001.12.17 この所、ベランダの朝の気温は、2度C位が、続く。 今年は、北海道や、東北、北陸など雪がはやく、もう、数十センチつもったとテレビで見る。地球全体では、気温が大分上昇しているらしいが?私など老人は、やっぱり冬は寒いもの、と思って来た。子供の時は、寒さなど気にしなかったし、戦争中は、我慢の連続、此処へくるまえに四十年居た家も冬の台所は北側で、食事の支度は寒いからすぐ温かい煮物ばかり作っていた。 「お陽さま、ありがとうございます」明るくて、あたたかくて、すきなことを好きなようにしています。テデイベアとトトロと私の三人組みの毎日は陽光の恵みの中に、幸せイッパイです。感謝です。
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2001.12.10 冬 近し 2001・12・10 今朝、ベランダの寒暖計は、5度C、いよいよ、冬が来る。近くの林の様子も、葉の色が少しずつ黄から茶褐色に変わってきたなと思っている内、大分落葉して、木々の間が、骸骨が並んだように透けてきた。 遠景の山がはっきり見えて、張り付いたように並んだ家々に灯かりが灯る。「あんな所に鉄塔が建っている。 」「アララ、電車が通るのが見える」日ごとに視界が広がって、毎日新発見の連続だ。 晴れた日に、ベランダに差し込む陽射しも方向が変わり、昼頃には部屋の中まで、陽がさしこみ、布団を広げて置けばベランダの竿まで運ばなくても暖かくなる。 大きな鉢に植え付けた水仙も芽を出した。水栽培のヒヤシンスの根も充分張ってきた。花の鉢を毎日動かして陽の当たる所へ置いてやり、水やりの時間も陽射しによって変えてやる。 夏の間楽しませてくれた花たちマリーゴールドやラベンダー、鶏頭にホトトギス、・・・・次々と実になり、すがれていく。 たくさん、お礼肥えをして、「また、来年もたくさん咲いてね。」と願う。福寿草も桜草も春ランもみんな亡夫が愛していたものを大事に育てている。 今度は、赤いポインセチヤとシクラメンはピンクか、白を買ってこようかな? 夕暮れも早くなってきた。4時半になるともう細い月が薄く光りだす。 「ひたすらに流れていく時間 」を追いかけながら平和に生きていける私は本当に「幸せ者」だと思う。
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2001.11.21 流星群 乱舞 2001・11・19 見ました、見ましたよ。生まれて初めてすごい流れ星を見ました。 それも、ビックリ するほど沢山、たくさん! 11月19日の早朝です。 午前3時少し過ぎベランダの椅子に座ってどっちの方向から流れるかしら?と思う暇も無く、薄い光の帯が東から西へ、サーッと流れて消えた。「ウソッ?これが流れ星?」・・・・これが、わたしの第一声。 しし座流星群が、地球に最接近して、地球ダストを突き抜ける時間は19日の1時から、3時頃と、新聞で見ていました。一番目の光の帯がスーッときえたあと、パッと光って尾を引いて南へ消える。 私は、子供の時から、「流れ星を見ると幸せがくる」「流れ星が消えるまでに願い事を言い終わると適えられる」と聞いていたけれど、一度も見ていなかった。「星に願いを」という曲が大好きでもし流れ星を見たら何を願ったらいいかしら?などと考えていた。 「50個まで見たらもう止めよう」と思っている中、54!55!・・・・・まだまだ飛ぶ。 80まで数えたら寝よう。まだ・・・81, 82、少し間があいて・・・83、 84・・ここまできたら、84歳ぐらいまで生きられるかな?あら!85、86・・・そんなに生きなくてもいいよ。 ベランダで居ながらにして最高の幸せを味わった。 |
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2001.11.17 昇仙峡の紅葉 2001・11・7 [紅葉 真っ盛り] の報に、昇仙峡へ連れて行ってもらった。 快調に高速道路を進み、甲府から、富士川の支流荒川に添う山道に入る。 涛涛と白い巨岩を乗り越え流れる白い水の谷に沿って道が続いている。両岸は、奇岩の連続で、その上に緑、黄、赤、褐色の木々が覆い被さるように生えている。 此処、昇仙峡は、秩父多摩甲斐国立公園のなかにあって、観光百選峡谷の部で第一位になって新緑の頃、紅葉の頃が特に有名な観光地という約 4キロに渉る峡谷沿いの道である。 川の中の巨岩奇石は花崗岩で白く、飛び散る飛沫をより一層美しく見せる。谷に突き出した真っ赤な紅葉の美しい事。松や樫などの緑や黄や茶色なども趣を添える。 久し振りに山の空気に浸って、心も洗われた気分になった。壮大な自然の営みの中で元気を貰って、幸せな一日でした。 |
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2001.11.3 電車に乗って 2001・11・3 インフルエンザの予防接種に行くために、朝の電車に乗った。 ちょうど通勤時間帯なので、一台見送って座れる車両に乗れた。始発駅に近いから大丈夫と甘く考えていたが、この所余り出歩かなくなっているので調子が狂った様だ。都内への通勤者らしい人たちが、続々と乗る。座れて安心。 先ず、車内の吊り広告を彼方此方読む。雑誌広告や、旅行勧誘など、軽い話の種になる。次は、駅ごとに乗車して来る人たちの服装に目が行く。季節の変わり目なのでそれこそ千差万別。半そでのTシャツの人がいる、セーターにマフラーまで巻いた冬支度の人も居る。キチッとスーツに身を整え雨傘まで用意している人も。若い人たちの色とりどりの絵や字が胸いっぱいに描かれたシャツやジャケットが今流行中らしい。そして、皆、携帯電話を手にして、耳に当てている人、画面を睨み付けている人、しゃべっている人。隣に座った若いビジネスマンらしい人は、細かい英字のパンフレットを広げている。耳にはイヤホーンを付けて何か聞きながら。仕事は何処も大変なのだろうな。ご苦労様。黒一色のシックなスーツの女性はハイヒールですらりと立ったまま朝刊を細く六つ折にして読んでいる。これはほんとのキャリアウーマンきっとテキパキ仕事が出来る人だ。 「つめてください!」と突然大きな声がしたのでそちらを見ると、大きな荷物を三つも持ったおばーさんが男の人達の前に立っている。絶対座るんだという気迫が見える。私には出来ないな。少しの隙間を見つけても[すみません。少しつめて頂けませんか?]ぐらいにしておけば、この頃の若い人達は、言わなくても代わってくれるのに。 さて、今何処かしら?またシニア・-モーメントで乗り越したら困る。車内放送をしっかり聞こう。[次はー、〇〇にとまりますー。〇〇方面はお乗換え・・・・・、皆様の付近に不審な物がありましたら、乗務員かガードマン
にお知らせください」 当今の世界情勢を反映したアナウンスが付け足されていた。
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2001.10.26 『民謡大会』へ 2001・10・19 全国から、選りすぐられた人たちが集まって、四日間国技館で開かれている民謡大会なので、両国駅周辺は活気づいていた。前日の予報では、12月の寒さになりそうだったので沢山着込んでそぼ降る小雨のなか電車に乗って出かけた。 幸い、正面の二階の桝席に座る事ができた。 今日は、若年と高年者が出演する日で、明日は、青年、その次は、熟年者・・・とプログラムに名前がズラーッと並んでいる。 若年(こども) の民謡の澄んだ高い声もまた一興、高年者( 70以上か?)は、さすがに年季が入っていて、シャンと腰が伸びていて、美しい衣装にまぶしいライトがよく映える。 豊かな声量、小粋な節回し、自信の溢れたおのれを謳歌している。 民謡は、土地、土地の人のきつい労働の中で生まれてきたといわれる。仕事の苦しさを時に和らげ、元気を呼び、時に生まれた土地の風景をたたえ、その歌声は、人に伝わり人を集め つどいの中に楽しみが湧き、やがて手拍子とおどりの輪が広がっていったのだろう。 『ユーラシアからのメッセージ』として登場した中国古典琵琶(イ族舞曲)と中国琴、モンゴルの民謡と馬頭琴 の演奏は珍しく、眼を眼をみはり身じろぎも出来ないほどだった。 私は、踊りも唄もできないけれど、これだけ感動させて頂いた事。良い一日でした。
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2001.10.6 「力持ち」廃業 2001・10・6 久し振りに、バスに乗って買い物に出た。 窓からの景色もすっかり変わって、街路樹の葉も色を変え、家、家の庭に咲く花たちも、コスモスや萩、色とりどりの小菊たちになった。 乗客の服装も「肩だし」「足だし」が、少なくなっている。私も、長袖のカーデガンと長いスカートでバッグも籐製をやめて、濃い色の布製に代えて来た。「いいなあ」もう街の空気がすっかり秋になった。 みずひきの 葉裏にか弱き かねたたき ヒアシンス 水栽培して 秋深む |
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2001.10.3 十六夜「いざよい」 2001・10・3 十五夜の次の夜の月を、「いざよいのつき}という。十五夜の月の出より時間がおそくなる。十七夜はもっとおそくなって、『立待ち月』その次の夜は『居待ち月』その次は、『寝待月』と呼ぶ。月の出を待って,立ったり,座ったり、終には寝転んでまで。 常識とか 教養とか、言葉まですっかり変わってきた。
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2001.10.2 「同居者が、出来ました。!」 2001・10・2 「何、それ?八十ばーさんが・・・・・」なんて思いましたか? 私の、定席のロッキングチエヤーに、両足を投げ出して、右手を小粋に手すりに掛けて、悠然と腰掛けています。 身の丈五十数センチメートル、柔らかな茶色のモヘヤの首にグリーンチエックの蝶ネクタイ、キラリと光るまるい大きな眼、丸顔のチョッとしたハンサムボーイです。そうです。今、流行のテデー・ベア君です。名前はまだ思案中です。 今日、思いがけなく大きなテデーベアを頂いたのです。 女の子を持たなかった私はほんとは好きなんだけど余り、こうしたものを置いていませんでした。 ひとり暮らしは、結構なもので、時間とか、人様の思惑に左右されず、気楽です。でも、時に買い物にも出ず、訪う人もなくて、一日中しゃべらなくて済んでしまう日もありますから、さびしいなと思うことも在るのです。 「オツハヨー!今朝はごきげん、いかが?」 「さあ、そろそろやすみましょうか?又、あしたね」 そんな楽しい日が送れることでしょう。 有難う。
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2001.9.28 いよいよ、眼にきたか? 2001・9・28 マンションの6階に移ってきてから、風呂上りのほてった身体を毎夜、ベランダで、夜景を眺める、一日の中で「これぞ幸せ」と快感を味わう習慣がついた。 今夜はまだ、十三夜では無い筈だ。暦を見ると十一日だ。ところがです!真正面にかかった月が、まーるく、二重、三重に見えるのです。片目ずつ瞑って確かめると、左眼の方が余計にぼやけるようだ。右目の進行が遅いのか?先日のテレビで、「六十代で、もう殆どの人は白内障にかかっている?」と言っていた。 私は、決して落ち込んではいません。ご安心を。
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こんな、おつきさま? |
2001.9.24 ホトトギス 2001・9・24 夏の間、只只葉が延び、鉢いっぱいに茂るばかりで、ベランダの隅に押し込められていた
「ホトトギス」が、今朝水を掛けている時花芽を一つ付けていました。 「ようやく咲くか?」と陽の当たる上席に置き換えてやりました。 遠く近く、あの澄んだほととぎすの声を、このマンションで聞く事ができるかしら? 渡ってくる空も、安全であって欲しいものです。 |
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2001.9.21 「婆さんは、山へきのことり」 2001・9・21 秋蚕が上がって繭も出荷し、家の周りの畑でトウモロコシが立ち枯れて、稲刈りには少し早い頃、一雨降った次の朝など「もうソロソロかな」とワクワクして起きる。 |
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2001.9.17 「栗ひろい」 2001・9・17 今日、スーパーで、プックリふくらんだ栗の実が、網袋につめられて、ピカピカ褐色に光って積み上げられているのに出会った。「ワー!栗がでた。」呼びかけられている気がした。 明日は、どうやって食べようか?また「おかあさんは、ノスタルジーをたべて楽しんでいる」と息子に笑われるけれど。
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2001.9.13 いのち「生命」 アメリカで、同時多発テロ発生 なぜ?大勢の人を殺すの?尊い命を奪うの? 人種が違っても、育った場所がちがっても、皆たった一つの命を一生懸命生きている人間なのに。男女,老若,職業などは各人それぞれ違っても,持っている命はだれも「一つずつ」なのに。頂いてきた寿命を全うせずに,一瞬に失わせてしまうなんて.。 「いのち」が、いちばん大切なのに。
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2 001.9.3 「水引草」 2001・9・3 朝夕すこし、涼風が立ってきた。 トロ箱に一株の水引草がある。この所弓形に花柄が伸びだして、チイサナ真っ赤な花粒が目立つようになった。 |
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2 001.8.25 夏が行く。 2001・8・25 夕食をすませて、いつものようにベランダの椅子に座って夕風を楽しむ。 それにしても、、どこも痛くないこの身体、もっと感謝しなくてはいけないな。 お月様のまわりが、心無し、にじんで来たようだ。 明日は、雨降りになるかもしれない。 |
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2 001.8.20 「ゴーヤー」にはまっています。 2001・8・20 沖縄の、テレビ小説に触発された所も有るけれど、この所「ゴーヤー」の苦味にすっかり、はまっています。 ゴーヤーは、縦半分に割り、赤い種と少しの綿を取り除き、3ミリ位に薄く切り、5/6分水にさらして置き,玉葱,豚肉少々をいため,ゴーヤーの水をきって入れ,歯ざわりを残すぐらいに軽く混ぜて,少々の醤油で味をつけ
木綿豆腐をあらく手でちぎって加えます。 |
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2 001.8.18 「迎え盆」 2001・8・18 ふるさと松本では、8月13日が迎え盆です。 私の子供の頃は、この日がお正月と同じくらい心の躍る日だった。白地に赤い朝顔の模様のゆかたを着せて貰って,絞りの三尺帯を蝶結びに、下駄の音をわざと鳴らして,早く夕方が来ないか?と家の周りをはねまわっていた。 夜になると,男の子は「青山さま だい、ワッシヨイ、コラショイ・・・」と杉の葉を積み上げたおみこしを担いで練り歩き、女の子達はチョッとおしとやかにほうずき提灯をともして、「ぼんぼんとてーや、きょうあすーばかり・・・・」と唄いながら、町内を列を作って歩き回る。たのしかった。 今年は、此処のマンションへ亡父を連れ帰った。13日、朝早く、電車とバスで御迎えに行ってきた。初めてのうちで間違えられたら大変だもの。 盃ふたつに冷酒をついで、二人の酒盛りだ。「ホラ、おとうちゃん、このテンプラ好きだったでしょ」 16日までのんびりして、良くこのうちを見てね。おかげ様で、便利な生活をさせて頂いています。どこか、直す所が有ったら、教えてね。 もう直ぐ、秋の虫も鳴きだすだろう。
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2 001.8.15 転ばぬ先の杖 2001.8.15 玄関とトイレに、手すりを取り付けた。生活面は、全部フローリングで、段差無しのマンションに入って,大変楽になったが、玄関で履物を替えるとき,靴のあるたたきが,僅か1.2センチメートル低くなっている。ペッタリおしりを下ろして靴を履くと,立ち上がるのにどうしても壁に手をつかないと立てない。 老人に、やさしい社会になってきたと思う。「転ばぬ先の杖」 自分も楽で,なるべく人の迷惑にならないように生活するつもりだ。 さて!今日は,何か美味しいものを探しにスーパーに行ってこよう。 |
工事の前 工事の後
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2001.8.5 遠花火 2001・8・5 今夜は,満月だという。曇り空だけれど、出てくれるかな?ベランダの椅子にかけて宵の涼風を楽しんでいる。以前住んでいた家は、庭に立ち木が茂り,池もあって、虫,ことに蚊が多くて,チョッとでも隙間があると進入してきて、音もせずに刺された。大きく赤く腫れて,何時までも痒い。 |
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2001.7.24 雨の音 7月 24日 マンション6階に降る雨は,「シャカッ・・シャカッ」と鳴る。ベランダのステンレス手擦りに当たる音だ。雲から地面へ落ちて行く途中の音だ。 気持ちだった。昼食後の一休みで、トロトロしていたが、聞きなれない音が 気になってベランダへ出てみた。「あら,雨か?」手擦りの先へ腕を伸ばして見ると 1粒,2粒水滴があたった。 昔は,シト、シトとか、そぼ降る雨とか雨に情緒があった。 マンションの雨は,地面がずっと下にあって,空中を音なく降下して行くだけ。 途中でよろめいた雨粒が手擦りの金具に当たる音だ。 蛇の目傘や、番傘の油紙にぱらぱらとかざあざあとか当たったけど。 見下ろす中庭で子供たちが黄色い滑り台に群がって,喚声を上げている。 ぬれていつもよりよくすべるのか?パンツがぬれておしりに張り付いている。 どこかの国では、雨にぬれる事も平気だとか?傘なんていらなくなって。なんか,乾いた時代になったようだ。 昔の雨の音は草木の葉や傘やトタン屋根や,地面にあたっていた。今の私の雨は空中を通り過ぎるおとだけ。 |
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2001.7.22 枝豆 きょうは、予告のあつた来客三人の予定。 「よーし、ひとつびっくりさせてやろうかな?」 我が,ふるさとの「ヌタモチ」を作ってご馳走してやりましょう。 これは、明治生まれの祖母に習った田舎の味。 田んぼのあぜに、枝豆が茂るようになり始まると,何時作ってくれるかと 心待ちしていた大好きな味だ。 茹でた枝豆を擂り潰してもち米のご飯にかけて食べる。 もち米とうるち米を、6:4位の割合で、少し柔らかめに炊き, 所謂,「半殺し」の状態に搗きつぶし,茶碗に7分目盛り、上に冷たい 緑色の枝豆のヌタをのせる。・・・・・おいしいよ。 熱いご飯に冷たい枝豆,ドロリとした中に、1・2粒の形を残した 豆が宝石のように混じって歯ざわり絶妙。 あの頃,「70年以上も前」は、冷房など,何処にも無くて,只ひたすら、 陽が落ちて,涼風がたんぼの上を吹いてくるのを待つばかり。 井戸の水は,長くは浸していられない冷たさだった。 祖母は,日中に大量の枝豆を根ごと抜いてきて,実をもぎ,大鍋でゆで、一粒ずつ 実をはじきだす。この辺から「手伝ってくれるか?」と声がかかる。 皮のほうが山のようになる。 おおきな擂鉢に溜まった豆に、塩 をふって,ギュッ、ギュッともむと薄皮がはがれる。 これを,一度水で洗い薄皮だけ流し去ると適当な塩味が残る。 さて、それから、ゴリゴリ,ゴリゴリ・・・・擂って擂って・・・・ 茶色の大きな擂鉢の中で山椒のすりこ木がリヅミカルに動き回る。 はじめの内は豆が飛び跳ねて,中々つぶれない。搗いたり,叩いたりしながら 徐々に緑色のアンコ状になるまで時々井戸水を入れながら擂りのばす。 幼い時は,擂鉢を押さえる役,少し大きくなれば,時々祖母と交代して手伝う。 そうこうしている間に「水加減」「すりこ木の扱い方」「味加減」等の微妙なコツを、 会得していく。首に巻いた手拭で流れる汗を拭きながら,ときどき指先にチョッと つけて味見をする。これが又,美味しく,楽しい。 おかずは,煮物。茄子、いも,にんじん,インゲンなど,朝から囲炉裏の大鍋で煮えている。 「今は,ミキサーがあるのに」と言われるが,何か,味が違う。そこが,80婆さんの意固地かな? 今日の,お客さんたち,どんな顔をして、何と言うだろう? 「この,ヌタ餅の枝豆も,今年私が畑で作ったの」一年間,畑を借りて 一番先にまめの種を蒔いた事,カラスが見ていて,みんなたべられてしまったこと ゴンベが種蒔きゃカラスがほじくる。を何度か繰り返した事・・・・ きっと,話もはずむことだろう。ヌタ餅が、もっとおいしくなる。 |
枝豆を植えたのですがみんな食べられて(からす?はと?)1本だけが残りました。 こんどは網をかけて厳重にガードしました。 これが今回の収穫の元です。 |
2001.7.20年齢の故か、朝は早く目が覚めます。 6階のベランダから見る景観は、ふるさとの朝夕、 やがて、棚引く雲が金色になって来ると朝日が登ります。 今年はカラ梅雨で7月に入って30〜35℃の猛暑が続いています。 サテ、今日はアレを片付けて、・・・・・・・。 ベランダの鉢植えの草木に水をかけてやりながら予定をたてます。 ミンミンゼミが鳴き出しました。
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