80バーさんのつぶやき
2002年のつぶやきU
2002.12.5 黄金色の散歩道 ニ、三日寒い日と雨の日が続いていたが今日はポカポカと小春日の良い天気になった。朝の掃除洗濯を済ませて少し歩くことにした。銀杏の落ち葉が散り敷いた黄金色の道を歩いた。 私は、父や夫の転勤が多くて、随分色々な所に住んできた。栗林の中の大きな農家の一部だったり、村が用意してくれる教員住宅だったり、北は、東北秋田の鉱山の社宅,山に張付いたハーモニカ長屋で、雪の夜には屋根の隙間から粉雪が顔の上に掛かったこともあったっけ。南では,大阪の中心街,天満橋筋や,京都の宇治川のほとりにあった家、 新潟の海岸でシベリヤ直輸入の北風がまともにぶつかって来る家にも・・・・それぞれ2・3年から10数年ぐらいずつ住んだ。 「また、転勤?」と悲しくなった事もある。 「転ばないように気をつけなさいね」と皆さんにご注意を頂くけれど,背筋を伸ばして楽しく歩けるのは,何とも幸せな事だ。 此の頃は,老人向きの軽くて滑らない良い靴があってとても歩きやすい。 もうすぐ今年も暮れる。 小春日の幸せを満喫しました。 |
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2002.11.13 お酉様と絹の道 久し振りに秋晴れの暖かい日になった。 人なみに 押されて来るや 酉の市 虚子 べッタラ漬けの匂いを少し気にしながらその後、息子の車で鑓水地区の「絹の道資料館」へ連れて行ってもらった.。この資料館になっている所は、この地の名主で豪商だった八木下要右衛門の屋敷跡だという。建物は近くの永泉寺本堂として移築され、母屋の礎石、蔵跡、建物の柱跡などが発見されているのだとか。山から湧き水を引き入れて、石積みの水路や池を作り洗い場の跡なども残っている。幕末、横浜開港の前後等の古文書や、豪華な天井絵、彫刻の欄間、美術工芸品などが鑓水商人の遺産として残されている.。 私も子供の頃、信州で養蚕を手伝った。山畑から桑の葉を摘んで背負って運び、ごま粒より小さい「お蚕さま」から四眠を経て上族(繭になる)までを3回も4回も繰り返す.。家の二階も三階も蚕室で、家族は夜も昼も目が離せない.。やがて、マブシに並んだしろがねの繭を取り上げる「繭かき」の嬉しさは今も忘れない.。大黒さまの袋のような白い袋に入れて集荷場へリヤカーに積んで運ぶ時はなんとも誇らしい気分だった。養蚕農家は、田畑 の仕事と並行して桑摘みもあって、ものすごい労働だった。子供も老人も黙って己の持分をこなす。その代わり唯一の現金収入になる。だから、「お蚕さま」とよんだ.。少し残した繭は、台所の鉄鍋で煮て、糸に手繰ったり、真綿に広げたりして家族の着るものにした。こうした労働や、体験をした者が、だんだん少なくなった事と思う。私も、いつまで古い事を思い出しながら書いていけるだろう? 「絹の道資料館」の柱や、間取りや庭の佇まいに艶やかさが残っていて、かえでは赤く、樫の木は黄色く、見る者にやさしく笑みかけていた。
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2002.10.30 ざくろの実 ルビーのように、透明な赤い粒々がぎっしりと詰まった大きなざくろの実を頂いた。亡夫と40年住んだ家の庭にもざくろの木や、アケビの木など、実の成る木がたくさん有った。田舎育ちの彼は、子供のときに、木に登って楽しい思い出をたくさん持っていたのだろう。 あたらしいハーモニカが届いたから,お父さんの好きな歌を吹いてあげましょう。 ♪雁がわたる,鳴いて渡る。鳴くは 嘆きか? 「今年の冬は,急速にやって来そうです」と気象予報官の言葉が,付け放しのテレビから聞こえてきた。
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2002.10.25 ハーモニカ この所、チョッとハーモニカにはまっている。 誰に教えて貰ったわけでもないが、知っている歌なら何とか吹ける。子供の頃、夕暮れの縁側で、よくふいたハーモニカ。まんしょんに移ってきて音が漏れない事に気がついて、ふとハーモニカを手にして、吹いてみた。 ♪ 兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・・♪ とか、 ♪秋の夕日に 照る山もみじ・・・とか、思いつくままに。 はじめは、ソーッと小さく、そのうち、だんだん力をこめてふいている。何年も吹いていなかったので、すぐ息が切れて、咳き込んでしまったりしたが、だんだん思い出してきて息の調子もよくなってきた。前奏をつけたり、ちょっと複音を混ぜたり、生意気に、今流行の「大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計」などにも挑戦
してみたり。 雨が降ろうが、風が吹こうが私の毎日をたのしくしてくれる。 |
古い複音ハーモニカ |
2002.10.21 ホトトギスの花 この所、秋の長雨と言うのか?毎日雨模様の日が続き、空は暗く空気が湿っぽい。散歩にも出られず、家の中で小学校で習った唱歌[四季の雨]などをくちずさんでいる。 @降るとも見えじ 春の雨 水に輪をかく波なくば けぶるとばかり思わせて 降るともみえじ 春の雨 Aにわかにすぐる 夏の雨 物干し竿に白露を 名残としばし走らせて 俄かに過ぐる夏の雨 Bをりをりそそぐ 秋の雨 木の葉、木の実を 野に山に 色様様に染めなして をりをりそそぐ秋の雨 C聞くだに寒き 冬の雨 窓の小笹にさやさやと 更け行く夜半を訪れて 聞くだに寒き 冬の雨 子供心にも、なんとなく哀愁を覚えて、好きだけどチョッと悲しい歌だと思ったものだ。 湿っぽい空の下に、ホトトギスの花が咲きだした。 笹のような葉が、緩やかにしなう茎にびっしりついて鉢を覆っていたが、夏うちはその存在を忘れていた。この所急に茎の先にボールペンの頭のような尖ったつぼみが濃紫に色づき、ぐんぐん膨らんできて、一番先の蕾が開いた。花の色や、模様が鳥のホトトギスのお腹の模様に似ているからホトトギスと命名されたという花だ。 |
ほととぎす |
2002.10.18 十三夜 今夜か、明晩の月が、13夜だ。 でも天気は下り坂で、西に方から雨が近づいている。ゆらゆらと上がる月が見えるかどうか?4・5日前の午後4時頃、南の中空にほの白い半月が見えた。まだ、夕暮れに間のある白みの勝った南の空の真中に昼の月が、秋の深まる夕方を感じさせてくれた。 今日は一日、祖父と、父の残した文章を読んでいた。明治40年前から、大正、昭和10年の頃に信濃公論、信濃毎日新聞などに載ったものらしい。 十三夜の月も、どうぞ、変わらぬ光を投げかけてください。
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新潟の秀明菊 |
2002.9.24 このごろ出会った「しあわせ」 @中秋の名月 Aお彼岸 B花便り C生きている幸せ |
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2002.9.21 「2−1=1」 ではない。 遠景の山々をさえぎっていた近くの木々が、葉を落とし始めた。枝の間が透けてきた。山の上の鉄塔ももう直に見えてくるだろう。桜の木の葉も、早く咲いた順に色を変え、落葉を始めた。ひまわりの花も首を垂れている。季節が、秋へと動いている。此の頃連日 引き算の悲しいニュースが多く、国の内外からごまかしや、ウソや、暴力のニュースが次々と出てくる。
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2002.9.3 8月・「去りゆきし者と、残されし者」 8月は昔からのお盆の月で、お墓参りをしてご先祖様をお迎えしておもてなしをし、生かされている幸せを感謝する。その上私の年代のものは、戦争を通ったので、原爆の日、東京大空襲、終戦の日などなどあまりにも多くの悲しい事を思い出し、今自分の生かされていること、去って行った人達に支えられ、導かれている事を思う月だ。 この人も、学徒動員で南方戦線で死線を越え、5年のご苦労を経て帰還し、もう一度学校に戻り、卒業後は長野県の教育界にしっかりと大きな足跡を残した。 戦争が終わって57年過ぎ、戦争の在った事も知らない人が多くなったけれど、私は昨日の事のように忘れられないで居る。 今年の8月も終わった。 父母も祖父母も夫も、恩師も 同僚だった人達も、同級生も教え子も・・・・沢山の人が私の周りから去って逝ってしまったけれど、私の『今』は、何もかも去って逝った人達から頂いたものだと思う。 残されているものもいずれ去り行くもの。私の日々も又今後子や孫や多くの出会った人達になにかを残してゆく事になる。良い思い出が多いと良いのだけれど。面白いおばーちゃんだったね。等と思い出してくれたら嬉しいな! 02・8・31 |
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2002.8.12 紫の宝石・ブルーベリー摘み 私の住む市には、10何軒か、ブルーベリーを作っている農家があって、先日市報に無料摘み取りの募集が載った。さっそく、往復はがきで申し込んだところ、当選の返事があった。 一家族3人まで,500グラム、無料で摘み取り体験をさせて下さるという。摘み取りながらの試食は自由とのこと。我が家の家族3人、「ブルーベリー摘み取り農園 」の、のぼりの立つ畑に向かった。〇〇日午前9時と指定されていた。 日除けの帽子に、サングラス 長袖シャツに首にはタオルを巻いて物々しい支度。ブルーベリーが、生っているところを見るのも、摘み取って食べるのも、初体験。 快晴の青空,陽射しは強いけれど気持ちのよい朝だ。地図で一応調べてきたので案外近くて第一番に指定の農園に到着。500グラム入るプラケース一つをもらって畑の中に入る。 200〜300坪かと思われる畑は、黒土で柔らかく、いまどき珍しい麦わらが敷詰められている。畑全体を青色の網で覆っているのは、熟してくると,鳥が来て食べられてしまうので鳥除けの網だという。木の高さは、2メートルそこそこで、間隔は1.5メートル位の畝になっていて、一本の木の周りをまわりながら実の熟し具合を見ることができる。 枝先にビッシリと実が付いている。先のほうはうすいピンク、だんだん赤が濃くなって、下に行くほど紫が濃くなっている。ブルームと言う白い粉がついて,葉柄まで紫に変わってきた粒が熟したものらしい。実の形は「一位」の木の赤い実に似ている。もう少し大きいかな? 私の小指の先位だ。 まず、その色の美しさに感歎の声をあげた。「なんて、きれい!なんて、かわいい!」 とても、つまんで取る気がしない。 だんだんと家族ずれが増えてきて、思い思いの木の前で、みんな「かわいい!きれい!」を連発してみとれている。どれをとろうかな?の前に、造化の不思議な美しさに感激して。 下の方の濃い紫の実を一つ、ソットつまんで口に入れ、プチンと噛む。甘く、柔らかい。 「お母さん、この木、とても甘いですよ!」と向こうの方で声がする。「葉柄が赤いのは、スッパイみたい」 「おう、この木はあまいぞ」みんな楽しそうにそれぞれの場所で声をあげている。老夫婦のお二人は一本の木の前で,「これ甘いですよ」「どれ、どれ」とお互いの口に粒を入れてあげている。父と母と子供とみんな童心に返って楽しそう。優しい、幸せな空気が畑じゅうに流れている。 パック一杯500グラムは無償でいただけるのに、箱に入るより、口に入ってしまう方が多いみたいだ。 網で囲まれて、柔らかい畑土と、農家のかたの愛情に育てられたブルーベリーの味の良さを満喫させて頂いた。 パック一杯の紫色の宝石、ブルーベリーは、早速家に帰って、ジャムに煮ましょう。 だいぶ、日が高くなった。幸せ一杯のお腹で朝の道をかえった。 |
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2002.8.6 せみしぐれ 「おとうさん、けさ蝉がなき出したよ。きこえた?」 朝ご飯を黙々と食べている主人に声をかける。主人は、「いいや!」と口の中で返事をしながら首を横に振る。 その頃住んでいた家は、庭イッパイに立ち木があって、梅雨が上がると油蝉の合唱が始まる。私は、毎年「ジー、ジジー・・・・・」と鳴きだす日を心待ちにして、「サー、夏本番だ。負けられないぞ!」と体力の落ちてきた老夫婦の夏越えの日々に決意を新たにした。 次の朝は、蝉の声も大分大きくなったので、「今朝は聞こえる?」 「ダメだー、コリャー」大分耳が聞こえなくなっているな、もう、蝉の話は止めよう。益々身体に自信を無くしてしまう恐れがある。夕方、「カナ、カナ、カナ・・・」とひぐらしが鳴き出した。これは、トーンが高いからどうかしら?と主人の顔を見たが変化なし。私は、言葉を飲み込んでしまう。 眼は白内障と緑内障で眼内レンズとコンタクトの上に眼鏡もかけて、視野もとても狭くなっている。あんなに信州の山を歩き回って、8ミリ映画を作り、録音機まで担いでいたのに、足腰もすっかり弱ってしまった。歩き慣れた我が家の庭でさえ、よくころんで起きられない。人間、鍛えていれば良いと言う物でもないようだ。 老人になるということは我が身に来てから気が付くものらしい。聞こえない、見えない、動けない。情けないものと思う。ひたすら、真っ直ぐに前を見詰めて歩いてきた人も、80歳を越えてまだ、絶対弱味は見せないぞと頭を上げて生きている姿も時には、「もっと楽にすればいいのに」と思ったりした。 庭のあちこちに蝉の出てきた穴が開き、木の枝には佃煮?が出来るほど抜け殻がくっ付いて、近所の子供らが「せみ、とらせてくださーい」と捕虫網をふりまわす庭になると、嬉しそうな顔で黙って縁側に腰掛けて見ていた。 蝉の声が、少し弱くなると、今度は、青マツムシの天下になる。「りゅーりゅー・・・」と一晩中うるさいくらい鳴いている。あれも、主人には聞こえなかったのだろう。 耳や、眼、脚もすっかり弱った。いつも、背筋をピーンと伸ばして真っ直ぐ前を見てさっさっと歩いていたのに、病院への行き帰りもすっかり遅く危なっかしい。 いままで、 精一杯頑張ってきたのだもの,聞こえないものは無理に聞かなくていいじゃない?見えないものを無理に見ようとしなくていいじゃない?みんな,神様の思し召しなんだから。 豊田に越してきて二年目なった。一人暮らしも大分上手になったと思う。 夜が明け始めると、ジジージージーの油蝉,日が昇ってくるとミーン,ミーンが加わり,夕暮れには カナカナカナ・・・・・ とひぐらしがせわしなく声をあげる。 まだ聞こえているつもりだけれど,聞こえていないものも在るかもしれない。 与えられるお恵みをを有難くいただいて毎日幸せです。 |
あぶら蝉の抜け殻 |