8日目のおまけ

京都市内から師団街道を伏見に向かう。途中京町通に乗り換えて近鉄桃山御陵前から御陵に入り山を越してJR奈良線のガードをくぐり下ったところが→
京阪宇治線桃山南口駅。高校生当時も無人駅だったが今も自動改札の無人駅に見える。周りはマンションやお店が沢山出来て車の往来が激しい。

多分この辺りと行って見たのですが今浦島の私には見たことが無い建物がたっていました。でも宇治川はそのまま流れています。台風で宇治川がこの堤防ギリギリまで水が来たことを思い出しました。
名残惜しいけれど先を急ぎ、京都外環状線を(昔はそんな名前ではなかった)観月橋駅に向かう。途中から自動車専用道路になって自転車は走れなくなってしまう。困って伏見の街中へ入って行くと宇治川からの運河に沿って造り酒屋が並びその積み出し場所があり、蔵があり煙突がある。なぜか落ち着く。
歩道と車道に自転車車線が有る国道1号線に何とか戻る。静岡ではこの道をコクイチと呼んでいました。このまま進むとマックの事をマクドと言いアイスコーヒーはレイコーと言う国に入ります。
食べ損なったお昼を街道のラーメン屋で補給。関東には無いチェーン店でアオネギが好き放題かけられるサービスがうれしい。
国道一号線を大阪目指してひたすら南下。夕方6時には何とか桜宮橋(子供の時は銀橋と呼んでいた)が見えてきた。あれ2本見える。くたびれて目がかすんだのか?
近寄ってもやはり二本が平行して架かっている。

後で調べたのだが古いほうは武田五一氏の設計で新しい方は、安藤忠雄氏設計だと言う。凄い橋のそばで暮らしていたのだと、今さらながらに感心。その昔中学校でいじめられてショボンとした時にこの橋のアーチの鉄材の組み込みの中に隙間があって身体の小さかった私はもぐりこむことが出来ました。その狭い空間でナゼかホッとした事が思い出されます。今でもその空間には私の宝物が置いてあるはずですが工事中で入れず身体も大きくなってその空間には近づく事も出来ません。
この真ん中の空間に下から入り込んでいたことがある。暗い時期もあったョ。
新しい橋と平行して渡れる様になったら又来よう。
造幣局の門を見て、「通り抜け」を思い出す。八重桜が綺麗だったなー。
昔通っていた中学校。

風紀が厳しく門の前に先生が並んでその前を通り中に入る通学だった。男子生徒は丸坊主。まだ学校は有ったが周りの環境はまるっきり違って・・・。
向い側はこんなビルが建っていた。いつまでも思い出に浸っていても良い事は思い出さず。
でも其処から少し離れると昔の町並みも残っていた
さすがに昔通ったお好み焼き屋さんは無く友達の親がやっていた銭湯も無く住んでいた家は跡形も無く大きなビルになっていた。
暗くなって大阪梅田駅まで到着。インフォメーションを探すと洒落た観光案内所があって今夜の宿泊場所を紹介して頂く。その間にも英語やフランス語韓国語の利用者がひっきりなしに宿を求め訪れてくる。
今日は達成祝いと昔の思い出に豪華夕食をおごる。
本日の走行 草津から大阪まで93.47キロ